「セレッソ大阪と私(C大阪からJリーグを除き見て)」 
                           昭和
48年水産卒 藤田信良
 

1.自己紹介

私は1973年水産学部を卒業し、ヤンマーディーゼル鰍ノ入社、35年間舶用部門の営業職

を経験した後、2008年1月にJリーグに所属する「大阪サッカー倶楽部梶iチーム名:

セレッソ大阪)」の社長となりました。

2.Jリーグについて

Jリーグは、ワールドカップ出場への最善策として、1991年に組織化された。以来20年を

経て規模を拡大、グローバル化させてきた。

その間、全てのワールドカップ出場を果たしてきた。

3.「セレッソ大阪」について

 ヤンマーサッカー部を母体とし、1994年に大阪サッカークラブ鰍ニして設立された。

2008年私の就任時、過去13年間で2回の優勝争いと2度のJ2降格を繰り返し、J2

在籍していた。その間15人の監督が交替していた。

4.中期戦略の策定

 クラブの目指すべき目標を「アジアチャンピオン」と定め、@営業収入のJ1平均レベル

まで拡大、Aクラブ本体はプロサッカーの興業に特化し、積極的な強化費投入、B普及・

育成部門を「社団法人セレッソ大阪スポーツクラブ」として独立、Cチームコンセプトの

確立と徹底させた。結果、2010年にJ1昇格、クラブ史上最高の3位となり、2011年は

ACL(アジアチャンピオンリーグ)に出場し、ベスト8となった。以降も「アジアで戦え

るチーム作り」と「育成型クラブづくり」を中期戦略の柱とし継続している。

5.インフラの整備

 プロサッカーの興業価値を高めるべく「長居球技場」を、ネーミングライツも絡め

「キンチョウスタジアム」として改装投資し、サッカー専用スタジアムとして再生させた。

 また、従来からの懸案であった練習環境を改善すべく、大阪市此花区の舞洲にクラブ

ハウスとグラウンド3面を新設した。

6.Jリーグの課題

 Jリーグ設立より20年が経過し、様々な改革改善は図られたが、@各クラブの経営健全

化(クラブライセンス制度の導入と徹底)、

A秋・春シーズン制への移行、B審判員の質の向上、が当面の課題と認識する。

7.最後に

 大学卒業後、40年間のサラリーマン生活の最後の4年間を、Jリーグという不思議な

世界を経験できたこと、また本日こうして経験をお伝えする機会を与えていただいた

同窓の皆様に心から感謝いたします。

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